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60歳からの旅Ⅲ バルセロナとフィレンツェの旅 [思い出の都市]

『スペインとイタリア旅行』 

<60歳からの旅Ⅲ>  2012.12月3日~12月15日 
航空券 138550円 ホテル料金88500円(11泊)合計227050円
食事・お土産代(カードの利用を含めて7~8万円)従って、30万円の出費になった。
今までの一人旅で一番長く、出費した旅になった。

<旅行内容>は、以下の通り
12月3日 バルセロナ 成田からパリ経由でバルセロナ着午後9時(イタリア経由だと午後11時過ぎ着)
     6泊 ホテル   
              3~5日ヌーベルホテル(三ツ星)カタルーニア広場に近く交通便が良い
              5~9日コロンホテル (四つ星)観光便利・サービスとお薦めホテル
12月9日 バルセロナからフィレンツェ 
     フィレンツェ4泊 シエナに1泊ホテル 
             9~11日エルミターゼホテル(三ツ星)余りお勧めできないホテル
             11~12日アテナホテル(四つ星)交通の便は悪い、景観が良いお薦め
             12~14日ブレターニャ(三ツ星)交通の便は悪い、一人の場合部屋は悪い

12月14日 フィレンツェ発 ローマ経由で15日 30分遅れ成田着午前9時45分自宅についてのは、12時前だった。

航空券はHISで手配、安く、便利な航空会社行きはエアーフランス航空、帰りはアリタリア航空を選んだ。但し、バルセロナから直行便フィレンツェまでは、初めて自分でイベリア航空を予約,13500円(曜日によって価格は違う)だった。イベリア航空の子会社の方が安い。共同運航のため、子会社が良い。

ホテルはAgodaとVenereとHotels・comを利用して予約。同じホテルでも価格は違う。どちらかというと、Agodaが良いだろう。
<目的> ・バルセロナではガウディの建築見学と朝食のチョコラータを飲み、チェロスを食べること、そしてカタルーニア音楽堂でフラメンコ見学(日本で予約)そして、レイ広場見学 
    ・一番好きな街フィレンツェに行くこととシエナのカンポ広場見学

<結果>ガウディの多くの作品見学、近郊の街と飲食店と色んな場所を計画はした。でも、ガウディは4か所、飲食店は現地で探したが、一応目的は達成できた。

ガウディの作品はやっぱり疲れた。サクラダファミリアは未完成のため、内部は見学しなかった。ピカソ美術館は非常に良かった。最初好きな絵を見つけて、2回行った。2回目は12ユーロかかった。ミロ美術館は遠かったけど、内容は期待外れだった。

イタリアのフィレンツェ・シエナの変わらぬ景観と行きつけのバーでの会話は楽しかった。サン・ジミニャーノでは、城壁沿いからの新しい景観を見つけて少し興奮気味にスケッチ(塔に上ることを忘れた)を愉しんだ。
スペイン、イタリアと天候に恵まれて、朝7時前後から活動し、午後5時頃まで、スケッチと実測の日々だった。

『スペイン旅行』

38年前のバルセロナの思い出
もはや遠い思い出だ。私がこの地を訪れたのは、1974年、あれから38年になる。
当時、イタリアの物価が日本の半分、スペインはイタリアの1/2。非常にホテルの宿泊費と食費と安かったことを覚えている。コミュニケーションは、私はイタリア語で話し、スペインの人はスペイン語、でもなんとなく通じていたことも、楽しい思い出だ。
その時は、ガウディの建築見学と広場探しで訪れた。

バルセロナ、マドリード、セゴビア、トレド、コルドバと見学した。今でも覚えているのが、バルセロナで街頭で朝食に食べた“チョコラータとチェロスの味”と“コルドバでの苦い恋の思い出(結婚前)”は忘れられない。


<バルセロナの思い出>2012年12月3日~9日

言葉には当然不自由さはあるが楽しかった。
相も変わらず、忘れかけているイタリア語とスペイン語との会話を楽しむことが出来た。

ホテル、買い物、バーと働く人たちとは、気軽に話せる仲になった。
バルセロナは小さな街、何度も顔を合わせるたびに、挨拶をする。行きつけのバーをつくることでさらに楽しむことができる。これは旅行のテクニック。
新しい地図を買って、これを頼りに探した場所も、移転していて見つからず苦労したことも思い出になった。(地名はカタルーニア語、ガイドブックはスペイン語で書かれている)

次回、行く時が楽しみだ。最高に美味しいチョコラータの店とチュロスの店(日本のマスコミが取材に来た)を見つけたので、もう探す必要はない。イタリアも同じだが、食事は高い、ちょっとまともな食事だと2000円前後を覚悟しなければならない。1日5000円に抑えたので、昼食(午後2時頃から)だけをメインにした。
旅行前はいろんな場所を予定していた。しかし、バルセローナの市内、一番遠くてガウディの設計した
グエル公園(1回目は地下鉄と徒歩、裏側、2回目はバスと徒歩)だった。バスで行くことをお薦め。

キュロスの美味店1JPG.jpg美味しいチョロラーJPG.JPG
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バルセロナでは浪費を控え気味にしても、交通費、お土産を含めて4万円近く出費(12日間で7~8万円)。カタルーニア音楽堂でのオペラ・フラメンコの見学とすべてが楽しい思い出。
デジカメ時代、スケッチをしていたら、いろんな人がそばに寄ってきた。スケッチしている姿を、写真を撮らせてほしいと言われたときはびっくりした。バルセロナは暖かったが、フィレンツェは日本と同じように寒くて、スケッチするのは大変だった。でも、一日だけを除き好天で良かった。


ここでチョコレートの歴史を調べてみた。
1502年ヨーロッパ人で一番初めにカカオを口にしたのはコロンブス。その後、1528年に、エルナン・コルテスがカルロス一世の治世下のスペインに持ち帰り、ヨーロッパでのチョコレートの歴史がスタート。一説によると、カカオと砂糖の組み合わせを造り出したのはスペインだったとも言われているそうだ。

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香港の点景 出来事 [思い出の都市]

《香港ひとり歩き》

香港をひたすら歩き、地下鉄(MTR)とトラムとバスを利用して見学した。食事は安く、おいしかった。
九龍半島の油麻地、佐敦、尖沙咀は、日本の新宿、池袋、池袋の繁華街だろうか。世界的な商業の中心地は香港島の上環、中環にある。天后あたりまで来ると、繁華街はさびれている、静かな地域だ。私は、香港島の観光が好きだ。九龍半島は疲れる。


「食べること」

年齢的にも肉は避けて、魚と野菜と麺類とお粥を食べた。20~30HK$あれば食事ができる。朝8時ごろから飲茶など店は繁盛している。ケンタキーフライドチキン、マクドナルドなど外資系の店もあるが、本当に食べることが好きだ

私が入る店はかならず、お客が多い店を選ぶ。香港の人たちは、私のように一品を選ぶことはしない。例えば、お粥なら焼きそばのようなものと一緒に食べる。上海で見かかえたように、床にぺ、ぺ、と吐き出すことはしない。かっこよい食べ方ではないが、肘をつき楽しく会話をしながら食事をする。喧嘩でもしてるのではないかと思うほど大きな声。私のように一人で食べてる人はいないから、少し目立つ。

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「タワーマンション」だらけ

どこに行っても高層マンションが建っている。香港島の東から西端まで行ったが、やはり高層マンション。彼らに言わせると、土地がないからという(私のお客様の話)。確かにそうだ。平地がなく、海際をトラム、MTRが走っている。後方は山。山の斜面を利用して墓がある。

マンションの建設には中国の建設会社が多いと思う。日本企業は見当たらなかった。どんな建物も、竹で足場を組み、岩盤の上に建つので杭がない。自然の力は強いから、いつそのまま倒れるやらと少し心配になる。価格は3000,4000万円以上はする。億単位のものもある。価格は日本とあまり変わらないのでは思った。
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「トラムが走る」

トラムをよく利用した。バスもそうだが、必ず2階に上がり、最前列に座る。朝、夕方の通勤時はラッシュ。停まる箇所が、100m間隔ぐらいかと思うほど多い。それだけに安心して乗ることができる。バスも停まる箇所は多いが、行先を確認して乗る方が良いだろう。それだけに地図は手放すことができない。トラム同士すれ違う時の恐怖感がある。トラム同士の離れが50cmもないだろう。30㎝ぐらいだろうか。距離を測ることができなかった。

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香港旅行 ひとり旅 [思い出の都市]

《香港旅行 ひとり旅》

60歳からの旅Ⅱ

旅行シーズン前、9月26日から9月30日、3泊4日(実質2日)の旅行を計画した。
目的は3つある。“施主に御挨拶”と“広場の現状”と“海に浮かぶ船を見学”。

□予算 10万円 (出費は12万円)
 飛行機はデルタ 26日 成田発18:50     48500円        
            29日 香港発 8:25
ホテル メトロパークホテルコーズウェイ(4☆)37500円
     繁華街は避けて香港島の閑静な地区を選択

□香港の広さは東京23区の2倍程度、1,1041K㎡
ja.wikipedia.org/wiki/香港
□香港の人口897万人、東京23区の人口700万人


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シドニー 誕生日をホテル Zoo [思い出の都市]

≪誕生日をシドニーで迎える≫

61歳の誕生日を記念して、オーストラリア旅行を計画した。 これをスタートにして、『快適なホテルを利用する、60歳の旅Ⅰ』としよう。



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61歳の誕生日、2月7日、朝早く目が覚めてEcono Lodge Sydney South を出た。地下鉄でシドニー最後のホテル、61年間を通して一番高いホテル、The Russell Hotel、1泊18000円(インターネットで2割引き)に、午前8時30分に着いた。

普通ならチェックインは午後2時頃なのだが、部屋が空いているので、すぐにチェックインをしてくれた。ラッキー。感じの良い受付のおばさん。自分の誕生日について話した。誕生日カードとチョコレートがベットの上にあった。うれしかった。やはり高いホテルは良いなー。ホテルはザロックス地区にあり、ジョージストリートに沿っている。オペラハウスが見えなかったが,屋上テラスこじんまりしたサロン、そして朝食がおいしい。


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テレビは見にくい、クローゼットは奥行が35㎝で使いにくかったが、久しぶりの浴槽。明日は最後の日、動物園とDarlingHarbourに行くことにした。

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オペラハウス シドニー [思い出の都市]

シドニー オペラハウスはオーストラリアの国のシンボル


≪創造から生まれる建築≫
水面に浮く蓮をイメージした形から生まれたオペラハウス、私には折鶴 和紙 白鳥 翼を広げた白鳥 二羽に見えたり 、見る方向で翼、シェルの数は変わる竜安寺の石庭をも創造させる。

37年経過したオペラハウス、岩盤の上に立つオペラハウスは今も美しい


ヨーン・ウツソン(Jorn Utzon (Jørn Utzon), 1918年4月9日 - 2008年11月29日)は、デンマーク・コペンハーゲン出身の建築家について(抜粋ja.wikipedia.org/wiki/シドニー・オペラハウス)
1957年、彼はオーストラリア・シドニーに建設される予定のオペラ・ハウスの建築設計競技に応募(39歳)、しかも彼が提出した設計案は図面ではなくアイデアを書き留めたドローイング程度に過ぎないものだったため、応募基準に合わないと一旦落選していた。

しかし、審査委員の一人にエーロ・サーリネンがいました。サーリネンはアメリカから遅れてきて、その時はもう他の審査員たちの協議で当選案は決まっていたのですが、落選案の中からサーリネンはウツソンの案を拾い上げて、強引に当選させてしまったという逸話が残っています。サーリネンは、このコンペの後、このウツソンの案(シェル構造)にヒントを得て、「ケネディ空港TWAターミナル(1956-1962)」を設計しています。http://ameblo.jp/tonton3/entry-10038576108.html)丹下健三の東京カテドラル(1960-1964構造/坪井善勝)も影響を受けているだろう。

建設半ばにも関わらず、建設費が当初の予算を大幅に上回っていることについて、公共事業相のデイヴィス・ヒューズはウツソンにデザインやスケジュール、費用についての考えを問い質し、彼がウツソンに対する支払いを止めたことをきっかけに、1966年2月にウツソンは設計者の地位を辞任した。(工事は難航し、当初5年とされた工期は14年に。総工費は予定の7000万ドルから10億ドルに膨れあがった。)

彼は、シドニーに移した事務所を引き払ってオーストラリアを去り、以後二度とシドニーの地を踏むことはなかったシドニー・オペラハウスは、その後を引き継いだ建築家チームの手で完成(スケッチと変わったのは、構造の関係で海に張り出した最端の形、その説明は坪井善勝氏のレポートで説明ci.nii.ac.jp/naid/110003789325 )。

1973年に女王エリザベス2世によって開館し、以後世界的に著名な建築として親しまれている。

2003年、ウツソンはオペラハウス設計の栄誉を称えられ、引退後はスペインで過ごしていた。

2007年、シドニー・オペラハウスは、ユネスコの世界遺産に登録された。







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楽しいシドニー 観光 [思い出の都市]

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Perthからシドニーに行く。出発の前日、迎えのバス会社に飛行時間を連絡した。当日、午前11時10分発に合わせて、ホテル前に9時30分、マイクロバスが来た。飛行場まで30分足らず。様々なホテルに行き12人を拾い国内線飛行場に行った。ところが、11時10分発の飛行機が飛行中止、午後1時30分発となった。そして、午後9時、シドニーに着く。時差はパースと+3時間。

さて、飛行場からホテルの近くまで地下鉄が走っていることはガイドブックで確認済み。地下鉄の駅員さんに最寄りの駅を説明してもらい、どうにか目的のホテルに着いた。ところが、HISに紹介してもらったホテルはロビーもなく、手続きをする人はレストランで働いている人。そして、もらった鍵の部屋には窓がない。廊下と部屋との床がつながり、ギシギシ音がよく聞こえ最悪の部屋だった。クレームを言うにも、遅すぎると思った。はじめての街では夜遅く着くのも問題かなー。今日は土曜日。バーとか生演奏をしている店はすごい賑わい。パースの街に比較するとシドニーは広い。

2泊目のシドニー。昨日の部屋のクレームを伝えて、部屋を変えてもらった。今度は小さな窓があった。まー9000円の部屋はこんなものと納得。友人の娘さんに電話。明日、午前10時、オペラハウスのハーバーで会うことを約束した。



日曜日、どこに行っても中国人が多い。旧正月が2月3日からおよそ1週間とのこと、納得。シドニーに3日間滞在、バスと地下鉄とフェリーが自由に乗り降りできる41ドルの赤いカード(同じホテルに日本人から情報収集)を買った。非常に便利なカードだった。ぜひ購入すべきです。

地下鉄カード001.jpgシドニー地図001.jpg






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オーストラリア一人旅 Fremantle [思い出の都市]

Fremantleに行く
フレマントル地図.jpg2日目はフリーマントルマーケットに行く。スワンベルタワーのそばから、2つの会社の船が行くことを確認。発着場の近くのカフェーショップで朝食をとった。シンガポールから来た若者が、アルバイトをしていた。彼はここの大学に通っているとのこと。ゆっくり、サンドイッチとコーヒーで朝食を。

一番早いのはRottnest島に行くCaptain Cook Cruises 便だった。帰りは電車を利用のため、片道切符購入。フリーマントルには街のの対岸の場所に着くとのこと。そこから車で街まで案内すると説明を受けた(日本人)ものの、もう少しで島まで行くところだった。ここで降りたのは私一人だった。









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フリーマントルに行く途中(船上にて)               街路のモール(広場)
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マーケット
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Fremantlem2.JPGFremantleM2.JPG続きを読む

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オーストラリア パースの広場 [思い出の都市]


《オーストラリア パースの広場》

『オーストラリア大陸』
オーストラリアの歴史は、1770年科学調査のために南太平洋を航海していた、英国人ジェームズ・クックが、現在のオーストラリアを英国領と宣言、流刑地のための大陸として歴史がはじまった。現在も国の元首はイギリスの女王エリザベス。(オーストラリアの命名/ja.wikipedia.org/wiki/マシュー・フリンダース )

シドニー、メルボルン、ゴールドコースト、ケアンズ、パースなどのような主要都市の開発は、海岸、川沿いに計画され建造。大陸の70%は不毛の砂漠地帯。国土が日本の20倍あるが、人口はわずか2215万人。西オーストリア州の州都、パースは人口わずか150万人。

『パースの都市構成』
川沿いの住まいはモスキートに悩まされたため、スワン川周辺には公園を計画。住宅関係地区は一街区中に入った位置に建物、住宅を配置。スワンベルタワーとを結ぶBarrackSt(道路幅約20m)を南北軸とし、セント・ジョージSt、ヘイSt、マレーSt、ウエリントンStの4本(道路幅約20m)を東西軸として構成されている。


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《オーストラリアの広場はモール》
パース中心街区.jpg イギリス人は都市を道路幅15m~25mでグリッド状に区分した形態を基本パターンとした。広場は最初から計画していない。ここで創り出されたりモールは社会状況に合わせた現代的な形が、広場となっている。

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オーストラリアのパースの魅力 都市の変遷 [思い出の都市]

オーストラリア大陸

オーストラリアの歴史は、1770年科学調査のために南太平洋を航海していた、英国人ジェームズ・クックが、現在のオーストラリアを英国領と宣言、流刑地のための大陸として歴史がはじまった。現在も国の元首はイギリスの女王エリザベス。


「Perthの魅力」

わかりやすい街
オーストラリアで一番大きな州、Western Australiaの州の人口約200万人の中、パースには約150万人が住む。シドニーに比べ、こじんまりとしたわかりやすい、住みやすい街。世界で住みやすい街として、とりあげられたことは分かる。

 生活に必要な施設は整ってはいるが、特別に大きなデパート、レジャー施設などがあるわけでもない。しっかりした文化施設、無料のバスなど交通機関も充実している。少し離れてはいるが、愉しめる場所はある。シドニーにいるときのように、時間に流されるのでなく、ゆっくり、ときの流れを感じられる街がパースの魅力。それが、Kevin LynchのいうLegibility(わかりやすさ)なのだろうか?わかりやすい都市とは、その中の地域とか目印とか道路などがたやすく見分けられ、しかもたやすく全体的なパターンへとまとめられるものであろう(リンチの都市のイメージ/丹下健三訳)。


街の広さ
1834年の地域計画図にみられるように、スワン川沿いに計画された。現在もパースの主要な地域となっている。都市のシンボルとなるスワンベルタワー、明確な街路(15~25m)、北は鉄道、南側と東側は川、西側はハイウエーとで、城壁に代わる地域を形成している。広さは東西4000m×1000mぐらい。

街の形、格子状 
スワンベルタワーから伸びた南北街路を中心軸として、200~400m間隔に走る南北街路は川に下がって傾斜する。そして、スワン川(名前は原産のコクチョウによる)と並行した4本の道路、Wellington St.、Murray St.、Hay St、St・Georges Tce St.が約150M間隔の東西軸を構成している。

イメージづくりBuilding the image
この地域の主要道路は、スワン川のそばにある、スワンベルタワーから北の中央駅の方向に延びた主要南北軸Barrack St.。そして、川と平行に4本のほぼ同じ幅員の道路がある。この約150m×300m格子状につくられた街並み構成には、自分がどのあたりにいるのか理解できる。そして、川沿いには広い庭園をがある。交差点にシティーホール、教会がある。
東西軸と主要南北軸と交差した地点から2本の東西に、車の進入を規制した人間のためのモールがある。
このように、都市のイメージの本の書かれているような、パス、エッジ、ディストリクト、ノード、ランドマークの5つの要素が構成されている。

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イラクの旅 [思い出の都市]

イラクの旅
イラク・イラン戦争前、1979年にバグダットの再開発のため3ヶ月間、バグダットに滞在した。毎週土曜日、日曜日には近くの町を観光した。


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