So-net無料ブログ作成

「プラハを歩く」著者 田中充子から考える【広場】 [広場]

「プラハを歩く」著者 田中充子から考える【広場】

プラハを歩く.jpg
カレル橋は、著者が考える広場なのか

この文庫本から抜粋する。“カレル橋は14世紀後半にカレル4世によって建設された。1357年、全長515.7m、幅9.5m、15のアーチの上に、建築家ベトル・パルレ-シュが生涯をかけた仕事。 そして、1683年に中央に聖ヤン・ ネポムッキー彫刻が建てられて、1718年に最後の聖人が据えつけられた360年後に今のように30人の聖人が備え付けられた。カレル橋に彫像をおくというアイデアは、ローマのサンタンジェロ橋に倣ったとされる。ローマでは広場とは「彫刻で囲まれた空間」をいう。彫刻で囲まれない空間は広場ではなかった。彫刻は建物に付随しているのではない。彫刻が主役である。そう考えると、サンタンジェロ橋とどうようカレル橋の彫刻群は、橋の上に広場をは広場をつくったと言える。





カレル橋には、日の出前の朝6時前から、カメラマンのウエディングドレルの撮影、景色等の撮影と私のような観光客と20~30人が目立つ。そして、6時30分頃にはグループの観光客等、そして店を出す人たちが準備を‥というように賑わいは、夜10時過ぎ(私は遅くてもこの時間まで)まで続く。

高さ7~8m(橋の床)を超え、30m間隔、欄干(高さ90cm)の上に置かれた30の聖人が、周辺の景観から浮き出て見え不思議な空間を創り出す。欄干の上に彫像をおくというアイデアとなったローマのテベレ川に掛かるサンタンジェロ橋(長さ130m)、欄干(高さ130cm)には、10人の羽をもつ天使置かれている。しかし、私は何度訪れても、広場とは考えたことはない。
騒然・雑然とした旧市街地と聖なる地域のサンパウロ寺院を結ぶ「文化のかけ橋・都市が発展するための橋」としか考えたことはない。

二年前の【60歳からのひとり旅Ⅶ】観光でポルトガルのポルトのエッフェルのマリア・ピア橋に興味を覚えてから、昨年の【60歳からのひとり旅Ⅷ】アンダルシア地方のコルドバのローマ橋と、最近橋のデザインが気になる。(30年も前だが、私がはじめて、国際コンペに入選したのも世界の橋だった)


様々なイベントが見られる

プラハカレル橋広場のような2.jpg

カレル橋の上イベント2.jpg

カレル橋イベント3.jpg

カレル橋イベント4.jpg




続きを読む



共通テーマ:趣味・カルチャー

ギマランイス ポルトガルの広場 [広場]

「ギマランイスの二つに分かれた広場」


北イタリア、ベルガモの山の上にある大聖堂広場に似ている。
教会・美術館のある『オリベイラ広場』と曲面の壁をした、『サンティアゴ広場』


旅7観光ギマランイス門.jpg

世界遺産都市 ギマランイス
2017年7月の「60歳からの旅Ⅶ」、ポルトガルのポルトから東方向に電車で1時間30分、ギマランイスにいった。

第一には、ポザーダ・デ・サンタ・マリーニャに泊まるためだ。



旅7広場ギラマイス地図.jpg旅7広場ギマライス実測.jpg新聞調査ではポルトガルで二番目に住みよい環境の街





















街の中心から人の流込む、教会と美術館のある『オリベイラ広場』


旅7広場ギラ01.jpg旅7広場ギラ07.jpg




旅7広場ギマ13.jpg




旅7広場ギマ11.jpg




旅7広場ギラ追加02.jpg 旅7広場ギラ追加03.jpg
















広場では色んなことが起きる。今日は日曜日。車が進入しないので子供達遊びまわっている。ひとりの男の子が、おじさんの顔を見ながら何を考えているのか、はしゃぎ回る女の子はママに叱られていた。









二つの広場はキャノピーでつながっている。お互い独自の顔をもった広場


旅7広場ギラ追加04.jpg



旅7広場ギマ15.jpg








北側に曲面の壁を持ち、床は傾斜している『サンティアゴ広場』

こちらの広場には、自由に出入りできるゲームセンターと便所がある。午前中はお客がいないが、午後からお客が集まる。午後には、どちらの広場も賑わう。使われこそ、“街の広場”なのだ。


旅7広場ギマ26.jpg旅7広場ギマ20.jpg




旅7広場ギマ0218.jpg旅7広場ギマ27.jpg



















歩道が一段高くなっている。車止めにチェーンが付いている。


旅7広場ギマ25.jpg旅7広場ギマ21.jpg




共通テーマ:旅行

パリの広場 [広場]

《サン・カテリーヌ広場》


リヴォリ通り沿いにある、美味しいパン屋「ミス・マノン(Miss Manon」がある。いつ行っても、行列のお店。
misu.jpg
朝6時30分に開店。笑顔の似合う小柄でふっくらした、おばさんが一人働いていた。
7時近くになって2人の若い女の子がくる。
7時30分頃、やっと薄明かりが差す。コーヒーを飲み、今日の一日のスケジュールをたてる。
そして、長いフランスパン、バゲットを買って、この広場でパンをかじりながら、実測、スケッチをしながら、
ときを過ごす。それから、Vosges公園に行く散策コースが好きだ。

途中には大きな本屋さん(ここで、孫の本を買った)がある。
ここに立ち寄り、パリの歴史の本をパラパラと見る。そして、公園に行く。
パリに来たなーという感じだ。


《サン・カテリーヌ広場》

パリで私の好きな広場は、サン・カテリーヌ広場だ。
Rivoli 通りから30mほど中に入った場所にある静かな広場。広場0.JPG



パリ広場11.jpg



広場001.jpg

8m程の裏通り広場に入る、正面にリヴォリ通りが見える


広場32.JPG



広場5.JPG



パリ広場1.jpg

サン・カテリーヌ広場は、街路に囲まれた広場、23m×19m。
樹木、緑色のベンチ、街灯、車止め、ゴミ入れがある。



周辺の街路幅、7.7~8mあり、それを含めてもも31m×37mの小さな広場。
周辺の建物の高さは15m。高さと幅の比率は1/2よりも少ない。それだけに広さを感じる。そして、こじんまりとした広さ、圧迫な感じはない。この比率が良いのかなとも思う。
5~8人もベンチに座っているといっぱい。
広場4.JPG


広場3.JPG


パリ広場12.jpg


広場を囲む8mの街路には、簡易のお店奥行き2.7mが場所を占めている。
ランチタイムを利用して、ランチメニューを食べた。
東から光が射すお店が、混んでいる。
広場33.JPG


広場34.JPG

広場から裏通りを見る



銀座・伊東屋で神山ますみの個展「巴里の記憶」

2019/2/20(水)~28(木)

サンカトリーヌ広場パリjpg.jpg


能勢氏の誕生日祝いに出席するには、まだ時間があった。久しぶりに銀座に出た。
そして、伊東屋に行った。偶然に私の好きな広場“サン・カテリーヌ広場”の絵画を見つけた。

こんな風にも表現できるのだと、愉しくなった。傍にそれらしい人神山ますみさんに話しかけた。

“この広場で、近くの美味しいパン屋でパン/クロワッサン、バケットを買って食べるが好きでした”

彼女も、この広場が好きとのこと、束の間の会話であったが、一瞬サンカトリーヌ広場に居るようだった。また行きたくなった。



共通テーマ:趣味・カルチャー

リスボンの広場 [広場]

『60歳からのひとり旅Ⅳ リスボンの広場』


現在のリスボンの玄関は、コンメルシオ広場、これを日本語で書くと“商業広場”。貿易広場と訳している人がいて、疑問に思い調べた。1755年の大地震後にできた広場。「国王の広場」として設計、計画の途中「王の商業広場」、最終的には現在の「商業広場」。金七紀男著“リスボンの大地震と啓蒙都市の建設”参照www009.upp.so-net.ne.jp/fial/activity/.../fial_forum34_1203.p

ポルトガルの歴史は、紀元前8世紀フェニキア時代から始り、紀元前2世紀ローマ人、714年から1147年までのイスラム教徒の支配、そして最終的にキリスト教徒に回復されるが、歴史はこちらを参照ja.wikipedia.org/wiki/ポルトガル但し、「商業広場」の広さは、金七さんの方が正しい。ロシオ広場を実測したことから分かった。


ポルトガルは15世紀からアフリカ,アジア、アメリカに進出して各地に植民地を築き、都市を建設した。私が見学したのは、マカオだ。1554年に首都にしている。植民地との連絡は船舶を利用。そのため、海湾に拠点とし、海賊の攻撃に備えて、海から湾内から奥深い傾斜地が選ばれた。それが、テージョ川の右岸、海洋から17km入った現在のリスボン(1255年にコインブラからリスボンに首都を移す)。

リスボンは、1755年の大地震の後に築かれた。この地震の被害が少ないのが、“サン・ジョルジョ城”の斜面のアルファマ地区、対岸から見るとリスボンの全景は半円劇場というか、こんもりとした低い丘を思わせる。
リスボン全景JPG.JPGリスボン全景2.JPG対岸のカシ-リャス行きの船から



大地震の1755年以前のリスボンは、アルファマ地区のようなイスラム型都市。1730年頃の人口は25万人。
リスボン歴史.jpg



リスボン大震災
1755年11月1日、晴れ渡った日曜日の朝9時30分すぎ、直下型の地震。北から南に激震が貫いた。地震に続いて火事。翌年ボンバル侯爵は再建計画。具体的な設計の責任者はエウジェニオ・ドス・サントス大尉。
リスボン中世.jpg


計画の対象になる地域は、王宮広場(後の商業広場)とロシオ広場の間に位置、リスボンの心臓部にあたるバイシャ地区。

サントスの計画では王宮広場とロシオがバイシャの南北に2つの核として決定的な役割を果たし、3本の街路がこの2つを結んでいる地震から10年後1776年バイシャ地区と周辺に140の建物が建設された。


『リスボンの中心の都市構成』


リスボンの広場の面白さは、テージョ川に面する、リスボンの表玄関「商業広場」と北に延びる3本の街路とロシオ広場とフェゲイラ広場の都市構成と思い、実測した。

ロッシオ広場193m×85mとフェゲイラ広場72m×111mと樹木のあるサンドミンゴス広場、変形だが60m×30m程度の3つの広場を実測した。図面で書いていくとコンメルシオ広場177m×192mと言うことが分かった。
これらの4つの広場の組み合わせが好きだ。その中でも、サンドミンゴス広場が楽しい。朝、昼間はアフリカ系黒人の情報交換の場になり、夕方からは リリュール酒1.35ユーロの店の周辺には、たくさんの人が集まる。

リスボン3つの広場.jpg

続きを読む



共通テーマ:趣味・カルチャー

理想の“小さな広場”バルセロナ パタン・ランゲ―ジ [広場]

『Plaça de Sant Felip Neri』

この広場が、スペインにとって大切な忘れらない広場とは知らなかった。多くの戦争の傷跡があるのは、知っていたが、またサクラダファミリアを設計したガウディ―との関わり合いがあること、毎日、ガウディが訪れた場所、教会であることを知らなかった。
≪ガウディを知るためには、彼の作品を見るのでなく、彼が見たものを見なくてはならない≫と、「サクラダファミリアの彫刻を担当している彫刻家/外尾悦郎氏の言葉」


『Plaça de Sant Felip Neri』

ゴシック地区の主要街路沿いにある「Plaça de Degarriga 1 Bachs」を調査をしているときに、まったく偶然見つけた広場だ。この広場の存在は、私にとって、槇さんの『記憶の形象』からの概念の「奥」の空間だ。

そして、『パタン・ランゲ―ジ』 C・アレグザンダー著 平田翰那訳から、考えると理想の広場。

「環境設計の手引」として知られているパタン・ランゲージの中から「61 小さな広場」から考えると、バルセロナのPlaça de Sant Felip Neriは、理想的な広場だ。

抜粋“…実験から次の結果が得られた。正常な視力の2人の人間は、75フィート(23m)までなら気持ちよく意志を伝達ができる。大声で言葉を交わし、顔の表情をお互いに確認し合える。この75フィートという上限値は、きわめて信頼度の高いものである。100フィート(30m)になると、会話は不快になり、顔の表情は読みとれなくなる。

公共広場は、はじめに想像するよりずっと狭くすること。通常は45から60フィート以下の直径 にし、広くても70フィートを超えないこと。これは短手方向だけに適用し、長手方向は当然もっと広く ても良い。”



『Plaça de Sant Felip Neri』実測調査
http://unlike.net/barcelona/escapism/placa-sant-felip-neri


2理想広場.jpg



この広場には、2本のアプローチがある。 北側のアーチのあるアプローチと南側のメインのアプローチだ。そして、広場には噴水と3本の樹木。 広場を形づくる壁、2つの教会があるが、全体の雰囲気は宗教的よりも生活の場から生まれた雰囲気が漂う。 建物と広場の比率D/Hは、1以下だろう。芦原氏の広場の定義にもあっている。


この広場は、イタリアにある広場を合わせて考えても、私にとって『小さな広場のなかで、理想な広場』。


「二つのアプローチ」


北側のアーチをくぐり、広場に入るアプローチは、空間を限定し、明と暗をくっきりとさせている。前方を見ると、教会の斜めの壁に更なる、奥への期待感がわく。
広場に射し込む太陽光線が強ければ強いほど、つまり明暗の差が、大きいほど奥への期待感は大きい。更に、太い樹木の幹の存在も“何があるのだろう”と期待がわく。

二つ目の、南側のアプローチの特色は、幅3.4mの縦に空間を絞るように区切った街路の場合も同様に奥への期待感があるが、前者ほど明暗の差が強くないので期待感は小さい。

このアプローチの素晴らしさは、正面に幅3.5mの噴水が迎えてくれる。そして、その先にある独特のデザイン、一番高い高さの教会の明るい色のファサードが後方の壁をつくる。

そして、広場の中に入ると高木の樹木が、無味乾燥になりがちな広場にやわらかい空間とし、やすらぎをあたえ、木々の風の音、水の音、若者の演奏、話し声が聞こえてくる。

小さな広場アプローチ2.JPG小さな広場アプローチJPG.JPG



















「教会の前いつもたむろする若者」

教会の前に座り、ギターを弾きながら歌う。

小さな広場14.JPG



バルセ小広場3-3JPG.jpg



「美しい床」と「噴水」

噴水の形を造るように、重要な場所を示すように敷かれた“敷石の造形の美しさ”“広場の中心からわずかにずれている”ことが、教会の前の人の溜りをつくっている。

小さな広場11,JPG.JPG


小さな広場9.JPG



続きを読む



共通テーマ:学問

バルセロナ 広場 Plaça [広場]

『バルセロナにある私の好きな3つの広場』


スペインの広場には、樹木のある広場が多い。日影、癒し、憩い、もの思いにふける装置などいろんなことが考える。

“樹木のある広場は、私にとっては、癒しになる。一人で居ても不思議ではない雰囲気になる。”

 すべて、ゴシック地区にある。バルセロナ地図.jpg

バルセロナ比較.jpg


今回の旅行の目的の一つは、王の広場の測量だった。ゴシック地区の主要街路沿いにあるCの広場を見付け、そして、さらに奥にある(地図で見るように)Bの広場を見付けた。私にとって理想の広場は、Bの『Plaça de Sant Felip Neri』であった。

A 王の広場       20.6m×38.5m
  ca.wikipedia.org/wiki/Plaça_del_Rei  

Plaça de Sant Felip Neri       20m×22.8m(不整形だが)
 2つの教会がある広場   私の理想に広場

Plaça de Degarriga 1 Bachs 13.7m×29.2m(街路幅4m含)
 記念碑のための広場

続きを読む



共通テーマ:趣味・カルチャー

バルセロナの魅力 [広場]

『バルセローナの街』
海運都市として栄えたバルセローナは非常に魅力的な都市形成をしている。
現在も残された城壁を見たくて、38年ぶりのスペイン旅行を決めた。

海運都市と言えば、イタリアではヴェネツィア、ピサ、アマルフィ、ジェノヴァの街を思い出す。
ピサの力は強固な海運国家として成長し始め、11世紀に頂点に達した。下の地図を見るようにバルセロナとの都市の広さの違いが分かるだろう。

2都市.jpg



『バルセロナの魅力』

まず、バルセローナの市街地の地図を見る。地中海に向けて開かれたイタリアの城壁都市のような都市(1.7Km×1.4Km)を中心に、格子状の基盤が広がっている。それが現在のバルセローナを形づくっているのが分かる。更に細かく見ると、300m×450mの形が見える。そして、ローマ時代のカルドとデクマヌスの幹線街路が交差した場所にカテドラルが見える。しかし、これが現地に行くと違っていることが分かった。

都市形成に関する歴史について一言

続きを読む



共通テーマ:

香港の広場 [広場]

《香港の広場》

香港島、九龍半島とガイドブックで紹介された場所を歩き回った。

街は、蒸暑い(今日27日、気温27~32度、湿度70~80%)。一方ホテル、デパート中は冷房がしっかり効き、多くの人で賑わっている。

街角にも車の進入しない涼しい場所はある。そんな場所が香港の広場なのだろう。例えば九龍半島の油麻地駅の近くにある天后廟。タワーマンションの隙間にある場所よりも、お寺の本堂の前後の庭に池、ベンチ、樹木などある広い場所が『香港の広場』だろうか?


趣味 060.jpg趣味 062.jpg趣味 061.jpg


香港島のトラムの東端から西端また、MTLの東端から西端まで見て回った。どこにいってもタワーマンションばかりだ。その間をぬってつくられる公園がある。あまり、利用されていない。






趣味 007.jpg趣味 001.jpg「紫湾駅周辺」



続きを読む



共通テーマ:旅行

広場の出来事 [広場]

《広場を愉しむ方法》

『イタリアの広場では、様々な出来事に出会う』
ミラノを中心とした北イタリア、フィレンツェ・ローマを中心とした中央イタリア、ナポリ・パレルモを中心とした南イタリア。北から南と広場を探して、電車とバスで旅を重ねた。色んな人に会え、色んな光景を見、様々な出来事に出合えた。それが、日常生活を忘れる心の洗濯になった。だからこそ、旅は愉しい

その中で一番の愉しみは、様々な出来事に出合うことだろう。その起因が、「土地柄」であったり「広場の形」によることもある。例えば、前者で言うならば、政治経済を中心とした北イタリアと農業を中心とした南イタリアの違いによっても違う。後者で言うならが、北イタリアに多く見られる平坦地にある広場、中央イタリアに多く見られる山岳都市にある広場とでは形が違う。つまり土地柄と広場の形から生まれた地域性あればこそ、意外な出来事に出会える。その街でしか見られない出来事、一つの言葉で表すならば、特異性だろう。各街が持つ特異性をいくつ見つけることができるか、それが街を愉しむ唯一の方法だ。

細長いイタリアでこそ、そのような地域性が生まれるのだろう。一方、日本も細長いが現在のように小さな街が結合し都市化が進むにつれて、地方の良さが失われると思う。鉄道網と都市化とが一体になったときに、一層の開発が進む。イタリアの地方都市は鉄道網とは関係なく、城壁が残されている都市が多い。歴史をが大切にされている限りは、日本のような、どこに行っても同じような街づくりをすることはないだろう。

フィレF2.jpg
               観光地、フィレンツェのシニョリア広場

土地柄について、北イタリアの人達は政治論争が好き。彼らが広場に集まれば党派、政治理論について論争をする。第三者が見ればケンカをしているような雰囲気だ(21世紀に入ってからは少しおとなしくなっているようだ)。日曜日は特に、想像できない意外な出来事が起きる。中央は観光地、世界から色んな人種が訪れる。南は北の政治論争というよりは集団行動のざわめきがある。地域性に関係なく、変わらないのはサッカー論争する光景だ。

北イタリアの広場で、ある出来事が起きた。イタリアのベルルスコーニ首相が、2009年12月13日の夜、ミラノで行われた政治集会で支持者らと握手をしていた時に、近くにいた男から物を投げつけられた。首相は顔や口から出血し、病院に運ばれたが、鼻の骨にひびが入ったほか、歯を折るなど全治20日間のけがをした。
首相が党首を務める政党「自由の国民」の集会での出来事、集まった支持者と握手やサインをしていたところ、いきなり男に石膏の模型を投げつけられた。(朝日新聞12/14、南島信也)



フィレンツエから.jpg歴史的に見ても様々な出来事が起きている。それが、国民性、地域性。国のエネルギーとして必要なことだと思う。このような多くの可能性を持った広場。広場が歴史を造るといっても過言ではないだろう。
イタリアには「広場の思想」ともいうべきものがあり、そこに大衆が結集し、指導者を賛美することがあれば、敵と目される人物を処刑することもしばしばです。あのムッソリーニが第二次大戦の終局に近く、パルチザンに捕らえられてミラノの広場で処刑され引きまわされた‥         (フィレンツェからの手紙/著者松永伍一氏)




メディチ家がフィレンツェを追われるという政治的大事件‥代ってフェラーラ出身、サン・マルコ修道院長サボナローラが登場し、「異教的で退廃的な世相には天罰が下される」と予言して、1497年それらの書籍や美術品をシニョりーア広場で焼き捨てた。
サボナローラは神聖独裁政治体制(1494-1498年)を施いて、シニョリーア広場で1498年5月23日に焚刑に処される。(べッキオ宮殿のダビデ像のすぐ近くの地面に埋められたプレートがあるそうです。彼とその弟子二人が焚刑に処された場所を示しています。)

続きを読む



共通テーマ:日記・雑感

オーストラリア シドニー 広場 [広場]

≪シドニーの広場もモールだった≫

オーストラリアの街づくりはイギリスの街づくりが基本。Sydneyの広場はパースと同様のグリッド状の格子を基盤としたモール。ただし、モールにはパースほどの様々な装置はない。また、道化師の演技(QVB前で)はたまに見かける、ギターリストが演奏をしていた。

Sydneyモール2.JPG


モール演奏3.JPG




<タウンホールと聖アンドリューズ聖堂に囲まれた広場>

シドニー広場001.jpgDSC00280.JPG
QVB.と道路をはさんだ、反側にあるシティホール広場。地下鉄のタウンホール駅から地上に出た場所。シドニーの中心街にある広場だが、非常に静かな場所

街灯と樹木、コンクリートでデザインされた固定のベンチはあるが、なぜか落ち着かない。平面的な閉鎖感(視覚的に囲まれた空間)はあるが、高さの閉鎖感(建物と広場の一辺の長さの比率が2以上だろう)がない。比率を考えると広すぎるためだろうか。店舗との関連性はないためだろうか。とにかく、落ち着かない広場だ。常に人の流れがあるモールタイプの広場の方が、シドニーには向いているのだろう。





シドニー交差点.JPG



CityHall広場2.JPG
CityHall広場.JPG



オフィスの中庭で見つけた彫刻
サラリーマン彫刻2.JPG

続きを読む



共通テーマ:旅行