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広場の期待と出来事 2017年の夏 [イタリアの広場]

『広場の出来事』

2017年7月24日~8月4日
夏は人を開放するようだ。いくつか気が付いたことと出来事をのせる。

大聖堂広場で、自転車に乗って観光している北欧の二人の女性が、着換えをしていた。プールで着替えをするように、さっと次の観光にと去って行った。

背の高い美人、周辺の注目を引く。僕が一声かけて、写真を撮らせてもらった。

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石でもないが、チェン等で固定した椅子を見かけた。陽射しの好きな人、嫌いな人、一人が好きな人、グループが好きな人、様々な形で利用されている。

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ギターを抱えて、歌い出した。演奏が上手い。大聖堂の前で、常連の人のお客が離れてこちらに来た。
聴衆が次第に増えて行った。車で来たポリスが看視をはじめた。

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マヨール広場の光景

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リスボン サン・ジョルジェ城 城門 [イタリアの広場]

リスボン サン・ジョルジェ城の城門 広場


サン・ジョルジェ城の城門で、音楽を演奏していた。傍にレモンの樹があった。城壁に上がる階段がある。
近くで、城の入場券を売っている建物があり、誰もが立ち寄る場所だ。
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イタリアのサン・ジミニャーノ [イタリアの広場]

塔の街として知られている『サン・ジミニャーノ』井戸の広場と大聖堂広場

シエナからフィレンツェに戻る途中、サン・ジミニャーノに立ち寄ることにした。15年ぶりだろうか?

慌ただしく観光する日本人にとっては、物足らない場所かもしれない。今回見つけた日本人の観光客一団も、1,2時間ばかりで帰って行った。しかし、イタリアの中では、開発することなく、“中世の街がそのまま残された街”、“世の中の流れを忘れた街”として、非常に大切な場所だ。http://musashinosekkei.blog.so-net.ne.jp/2008-10-26

この街の良さを知るのには、年月が必要だろう。ja.wikipedia.org/wiki/サン・ジミニャーノ歴史地区

予定より1時間遅れで、サン・ジミニャーノに行った。12日午後1~5時頃までの短い時間だったが、新しい景観を見付け、思いもよろぬ収穫があった。

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この街のアプローチは、城壁の外のバス停から始まる。
いつも変わらぬ、閑散といた景観、夏の一時しか賑わいを見せない街。

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更に城門をくぐると、前方に「井戸の広場」が見えてくる。


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右側に井戸の広場を見ながら、45m前方に見えるロッジャの方に進む

バス停から、城門を2つくぐり、井戸の広場を右側に見ながら、さらに進むと街の中心の大聖堂の広場に出る。ここには、一番高い塔のある市役所と街の中心の教会、大聖堂がある。

もうすぐ迎えるクリスマスのための飾りつけが行われていた。どうして、こんな中央にツリーを配置するのかと思うが、


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「サンジミニャーノの連続する広場」を実測
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三角形の「井戸の広場」と台形の形をした「大聖堂の広場」の2つの広場のネックにはロッジャ(回廊6.7m×14.3m)がある。これは、連続性と圧迫感を感じさせないための空間の演技と思う。フィレンツェのシニョーリア広場とアスコリピツェーノのポポロ広場にも見られる。 さらに奥には、観光のためだろうが、大聖堂の北側に広場がある。 「井戸の広場」1400㎡には、市民のための井戸のための場所、高低差、先細り(奥行70m)の遠近法をも生かせた広場になっている。平地の無い街、一番高いところにある「大聖堂のある広場」1600㎡(街路、階段含)は、市役所と教会のための広場とし、街の中心となっている。 “変化”・“連続性とつながり”・“個性”・“遠近法”・“街路の閉鎖性と開放性”・を持つ3つの連続する広場
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「井戸の広場」
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「大聖堂の広場」

シエナのカンポ広場 [イタリアの広場]

シエナの「カンポ広場」

「カンポ広場」は市役所のための広場

10年ぶりのシエナは天気が良かった。カンポ広場でごろっとして、広場の広さをレザー測量で測りたく、12月11日に一泊した。

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2012.12月11日 北西の角、メインのスロープの入口の傍にあるバールの2階バルコニーから、広場をゆっくりスケッチをして実測を始めた。
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「カンポ広場の実測」
すり鉢状、魚の骨状に敷かれたレンガ敷き。周辺は13.6m~11.7m幅の石敷きの街路に囲まれている
。(http://musashinosekkei.blog.so-net.ne.jp/2008-11-03-1毎年開かれるパリオ祭の時、この街路を10頭の馬が走る)
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街路を含めた全体の広さ(台形の形)は、高さ96.6m、上辺110m、底辺163.9m 
広場だけを計算すると70m×106m。一辺だけを考えると、シニョーリア広場の広さとあまり変わらない。それがどうしてこんなに広く見えるのか?

それは、広場部分が石畳の街路から下って、すり鉢状を半分にした形(等高線上、高低差21m)になっていること。写真、スケッチで見るように人が浮いて見える。



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高さ1.25~1.35m、直径0.35m、6角形の形をした石柱、ビッチ≒4.3m

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<その他の意図的デザイン>


1)広場に流れ込む道路幅は5m程度に絞り込んでいる

2)市役所の東南側以外、意図的に統一されたファサード、高さ

3)市役所の両サイドの建物の高さをぐっと下げて、市役所を浮出させている

4)市民の生活にとって、一番大切な水があるガイヤの泉

5)どこからも見える街の象徴とする高さ130mのマンジャの塔の存在

6)太くて高い車止め

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イタリアのフィレンツェ [イタリアの広場]

フィレンツェの『シニョーリア広場』を考える

寒い中でスケッチをする。フィレンツェの周辺の山並みは、薄暗く今にも雨が降りそうだ。中国人の結婚を祝う人たちが来た。途中で中止する。この続きは、シエナから帰ってからにすることにした。そして、サンミケーレ教会に見学に行った。
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「シニョーリア広場は、ベッキオ宮殿のための広場」

ミケランジェロ広場から一望するフィレンツェは、鐘塔の大聖堂と時計塔のあるベッキオ宮殿が浮き上がって見える。フィレンツェという海の中に浮かぶ、大きな2船のように見える。

または、一望するフィレンツェは、周辺を小高い丘に囲まれ、街の中央を流れるアルノ河、日本の京都・奈良のようでもある。これが都市づくりの基本構想なのだろう。


2012年12月の実測

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「シニョーリア広場」と「ウッフィツィ広場」との連続性

「シニョーリア広場」は彫刻によって、大きく二分されている。70m×70mと45m×50mの矩形。前回お話し(https://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/edit/input?reload_blog_id=262358&id=10354705)しているように、70m角の広場では、古代サーカーなどで現在もつかわれている。しかし、日当たりの悪い東側の狭い広場は、駐車場に使われたり2次的な使われ方が多い。

つまり、日当たりのよい重要な広場として利用する場合には、かならず控えの空間が必要ということだろう。

建物全体の豪華さを見せるために2面を見せる必要がある。

重要な広場の東側に、ベッキオ宮殿の正面を配置、控えの広場の南側には、宮殿の裏側(勝手口側)になる面がある。



「ウフィッツィ広場」の存在  現在工事中

3段の階段、広場とレベル差のある回廊(幅5.8m、天井6.6m)を持つ“ウフィッツィ広場”の広さは、140m×18mある。アルノ河に導きかれ、両側の回廊には著名な彫刻が配置されている散歩道の広場だ。

アルノ河の奥からは、ベッキオ宮殿の塔、大聖堂、彫刻とが構成、一体感、パースペクティブの構成と愉しむことができる。

この回廊には、店は配置されていないが、石のベンチが置かれ、構想、散歩と落ち着いた空間となっている。年1回、5月1日の労働メーデーには花祭りに使われている。

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オルヴィエート 『世界一美しい丘上都市』 [イタリアの広場]

オルヴィエートは、凝灰岩の上にそびえ立つ『世界一美しい丘上都市』とよばれています。
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丘の上に作られた要塞都市、古くからエトルリア人が住んでいたが、紀元前280年ごろにローマ人に攻め落とされ、近隣に逃れた。以来この街を「ウルブス・ウェトゥス (urbs vetus)」(ラテン語で「古い町」の意)と呼んだのが訛ってオルヴィエートと呼ばれるようになったといわれている。
(ja.wikipedia.org/wiki/オルヴィエート)エトルリア文明の最も重要で有名な遺跡の一つに数えられています。


『高台にたつオルヴィエート』

ローマから電車で1時間。駅から130mぐらい高い平地(700m×1500m)の高台まで、ケーブルカーに乗って行く。街を南北に二分して走るCorso Cavour、(下の絵葉書の下方)西に向かって700mぐらい行くと、前方に教皇の塔(19世紀、機械時計を設置)が見える。人の流れに誘われて、更に進むと前方には市役所のある広場がある。そして、人通りの少ない塔の北に行くと市民宮殿のある市民広場に出る、南に行くと大聖堂のある大聖堂広場に出る。

このように教皇の塔は、権利の象徴として、また街を監視するために街の中心になっている。

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<大聖堂広場>

大聖堂広場は、中央に40mの高い大聖堂で占められている。大聖堂を望むための引きが30m、視線的に、建物の規模からいえば、威圧的な建物だ。教会は素晴らしいが、広場としては面白みがない。

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イタリア広場の比較3 ピサとフィレンツェ [イタリアの広場]

『街の読み方』

ピサ、フィレンツェにも過去の城壁が残されている。防備のために築かれた城壁は、住民の増加、経済状況など影響をうけながら、解体、築壁を繰り返しながら城壁は成長する。それがどのような形で変化するのか、大きくなったのだろうか?という疑問をもち、都市の読み方を知りたく地図を見、広場を考えた。

『街の見方・考え方』は”「都市を読む、イタリア/陣内秀信著」より“都市は有機体であり、時間と空間の中で重なり合う層を形成してきた…、そのような都市・建築を分析する際、各時代ごとにそれぞれ完成された全体として見る考え方と、その歴史的な形成変化の過程を追跡する考え方とがある。


<ピサとフィレンツェの比較>
ピサとフィレンツェともアルノ川が街を北と南に二分している。河口にあるピサと河下にあるフィレンツェとには、どのような関係があるのだろうか?

一般的に、街の中心にある大聖堂広場は、ピサの大聖堂広場(大聖堂と鐘楼と斜塔)では街はずれにある。一方、フィレンツェの大聖堂広場(大聖堂と鐘楼)は街の中心にある。どちらも似たような大聖堂と鐘楼の配置になっている。

2つの地図を並べてみた(同じスケール、上部が北)

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11世紀に海運都市として頂点に達したピサ(左地図) 北西端に大聖堂(1063~)、オレンジ枠1.6Km角程度の広さ







ルネッサンスの花の都のフィレンツェ(右地図)北東端に大聖堂(11世紀~)黄色の枠0.4×0.5Km程度の広さ(11世紀) 



ピサは、フィレンツェより早く繁栄したことが分かる。11世紀には現在のチェントロ・ストリコ(歴史保存地区)1.6Km角程度を形成。しかし、様々な国との戦いを繰り返しながら1406年には、フィレンツェの支配下になった。

一方、フィレンツェは、ローマ時代に築いた地区(0.3×0.25Km)からはじまり、ピサの発展より遅れて12世紀にアルノ川を含めたコムーネの第一城壁(1173年~1175年)1.0×1.2Km程度の広さとなり、急成長し、第二城壁(1284~1333年)の現在見られる保存地区(オレンジ枠)2.4Km角程度が形成された。

つまり、羽仁五郎氏の書籍に書かれているように、ピサの大聖堂広場は、第二の都市を形成するための布石のような意味があったようだ。

ピサはローマ時代から急成長したが、11世紀には現在の城壁、12世紀以降は戦いのため成長は止まった。芝生で敷き込まれた広場は、他の街では見られない。だからこそ、ピサらしさの広場が出来たのだろう。

13世紀の街 ヴィテルボ Viterbo [イタリアの広場]

『忘れられた中世の街 Viterbo』

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トスカーナ州にあるサンジミニャーノのように、中世のおもむきが変わらず残されているヴィテルボは、ローマから北に70Km、ラツィオ州の北部、トスカーナ州とウンブリア州の州境に位置している。この地域は、"トゥーシャTuscia"と呼ばれ、紀元前のエトルリア文明が繁栄した土地の中心地だった。中世の時代には多くのローマ教皇がローマを離れてこの街に移り、『教皇の街』として著しい発展を遂げた。

ヴィテルボの街は、等高線のある地図をみても、ほぼ平地に見えるが、山岳都市建設の得意なエトルリア人によって、小高い丘(海抜325m)に築かれている。旧市街は、城壁に囲まれた中世の様子を完璧に残している。街周辺をぐるりと囲う城壁には7つの門あり、旧市街への入り口になっている。城壁のほか、塔、貴族の邸宅、広場を飾る華麗な噴水など、なかでもサン・ペッレグリーノ中世地区に足を踏み入れれば、13世紀にそのままタイム・スリップしたかのような光景に出会うことができる

過去、賑わいを見せただろうサンロレンツォ広場を紹介。35年前の写真しかないので、こちらのブログの写真を見てください。
en.wikipedia.org/wiki/Viterbo

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「街はずれにあるサンロレンツォ広場」 


サンロレンツォ広場は城壁内の南西の端にある。教皇たちの宮殿と教会と住居系に囲まれてはいる。レストラン、カフェーはなく賑わう光景は見られない。観光客がちらほら居る程度。市民のための広場というよりは、街の雰囲気とは一線を置いたプライベート空間、中庭のような雰囲気を持つ広場だが、統一された美しさはある。

こじんまりとした広さ(30×42m程度)、大聖堂の鐘塔の高さは40m以上ある。
周辺の建物の高さ低く押えて、教会を一層大きく見せている。

35年前は駐車場として利用されたが、現在は、写真を見る限り、車侵入・駐車現在は規制しているようだ。“Piazza di Itaria(出版TCI)”の書籍で紹介されている。




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現代的なシニョーリア広場 トレビーゾ [イタリアの広場]

『小京都のような美しい街 トレヴィーゾ』

北イタリア ヴェネト州にある小さな街、トレヴィーゾは、本当に美しい。
街の中を豊かに流れる水と城壁都市でありながら、周辺の鮮やかな緑、樹木、花壇など住民の細やかな暖かい心づかいが観光客の私たちに伝わってくる。

水と緑が人の暮らす石造りの建築群と見事なハーモニーを織り成している


『シニョーリア広場』
シニョーリア広場には、トレビーゾ駅からは、歩いて8~9分足らず。北側のローマ通りを行く、運河を渡り、ゆっくり蛇行しながら、アプローチするхх Settembre 通りに出る。そして、前方に正面を向いた時計塔が最初に目に入る。時計塔は建物と少しひねって建てられているのが分かる。

シニョーリア広場は、統一された高さ19mほどのパラツォに3方囲まれている。広場の広さは50m×25m、フラット。パラッツォは通り抜けができ、後方(北側)にある広場では朝市が開かれる。

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トレビーゾ https://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/edit/input?id=14312706


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イタリアの広場の比較2 [イタリアの広場]

トスカーナ州の「TodiとSpoletoと比較」

トーディ(海抜400m)とスポレート(海抜386m)は、どちらも丘陵地帯の尾根、台地を利用して築かれた丘上都市だ。Todiトーディの街中心にあるポポロ広場とSpoletoスポレートの街の少し高い位置、東端にある大聖堂広場とを比較する。

城壁都市の広さ:南北に広くこじんまりとまとまった矩形の形のスポレートは850m×1200m、尾根づたいの広がりを見せるトーディは850m×850m。

広場の形づくる建物:スポレートは大聖堂など3つの教会と資料館、そしてバールが2軒などに囲まれ、先広がりの台形と階段で下がったところに対比(静と動)した2つの広場
トーディは、大聖堂と3つのパラッツォとバールが数件ある。更に連続する対比した2つの広場がある。

広場の広さ:スポレートは間口10m、底辺50m、奥行140m(スロープ80m)
      トーディは間口40m、底辺30m、奥行90m
主要な建物:スポレート大聖堂ほぼ北東、高さ30m
      トーディ大聖堂北側    高さ35m


『Spoleto』http://musashinosekkei.blog.so-net.ne.jp/2009-09-28
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南西方向から正面眼下に見える小さく見える大聖堂に引き込まれるように下っていく
広いなだらかな階段、赤いレンガ敷き、白い大理石の縁 一人一人が浮出して見える





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