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オルヴィエート 『世界一美しい丘上都市』 [イタリアの広場]

オルヴィエートは、凝灰岩の上にそびえ立つ『世界一美しい丘上都市』とよばれています。
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丘の上に作られた要塞都市、古くからエトルリア人が住んでいたが、紀元前280年ごろにローマ人に攻め落とされ、近隣に逃れた。以来この街を「ウルブス・ウェトゥス (urbs vetus)」(ラテン語で「古い町」の意)と呼んだのが訛ってオルヴィエートと呼ばれるようになったといわれている。
(ja.wikipedia.org/wiki/オルヴィエート)エトルリア文明の最も重要で有名な遺跡の一つに数えられています。


『高台にたつオルヴィエート』

ローマから電車で1時間。駅から130mぐらい高い平地(700m×1500m)の高台まで、ケーブルカーに乗って行く。街を南北に二分して走るCorso Cavour、(下の絵葉書の下方)西に向かって700mぐらい行くと、前方に教皇の塔(19世紀、機械時計を設置)が見える。人の流れに誘われて、更に進むと前方には市役所のある広場がある。そして、人通りの少ない塔の北に行くと市民宮殿のある市民広場に出る、南に行くと大聖堂のある大聖堂広場に出る。

このように教皇の塔は、権利の象徴として、また街を監視するために街の中心になっている。

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<大聖堂広場>

大聖堂広場は、中央に40mの高い大聖堂で占められている。大聖堂を望むための引きが30m、視線的に、建物の規模からいえば、威圧的な建物だ。教会は素晴らしいが、広場としては面白みがない。

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オープンカフェ 新宿 [日本のひろば]

『日本の広場』


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日経新聞11月23日付 公道では全国初となる常設の飲食店が東京都新宿区の新宿駅そばで営業を始めた。全長100メートル、幅22メートルの区道にオープンカフェのパラソルが花開いた。かつては違法駐車や放置自転車があふれていたが、華やかな憩いの場に生まれ変わった。欧州のおしゃれな街角の雰囲気に変えようという商店街の7年越しの試行が実を結んだ。







 
この記事を見て楽しみに新宿に行った。まー写真で見る通りひどいもの。ゴミと一緒にパラソルをひろげ、椅子に腰掛ける気にもならない。人が居ないので、浮浪者が目だった。

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オーストラリアのパースの街路のカーフェーコーナーを想像していったのが間違いだった。
http://musashinosekkei.blog.so-net.ne.jp/2011-02-11-1



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イタリア広場の比較3 ピサとフィレンツェ [イタリアの広場]

『街の読み方』

ピサ、フィレンツェにも過去の城壁が残されている。防備のために築かれた城壁は、住民の増加、経済状況など影響をうけながら、解体、築壁を繰り返しながら城壁は成長する。それがどのような形で変化するのか、大きくなったのだろうか?という疑問をもち、都市の読み方を知りたく地図を見、広場を考えた。

『街の見方・考え方』は”「都市を読む、イタリア/陣内秀信著」より“都市は有機体であり、時間と空間の中で重なり合う層を形成してきた…、そのような都市・建築を分析する際、各時代ごとにそれぞれ完成された全体として見る考え方と、その歴史的な形成変化の過程を追跡する考え方とがある。


<ピサとフィレンツェの比較>
ピサとフィレンツェともアルノ川が街を北と南に二分している。河口にあるピサと河下にあるフィレンツェとには、どのような関係があるのだろうか?

一般的に、街の中心にある大聖堂広場は、ピサの大聖堂広場(大聖堂と鐘楼と斜塔)では街はずれにある。一方、フィレンツェの大聖堂広場(大聖堂と鐘楼)は街の中心にある。どちらも似たような大聖堂と鐘楼の配置になっている。

2つの地図を並べてみた(同じスケール、上部が北)

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11世紀に海運都市として頂点に達したピサ(左地図) 北西端に大聖堂(1063~)、オレンジ枠1.6Km角程度の広さ







ルネッサンスの花の都のフィレンツェ(右地図)北東端に大聖堂(11世紀~)黄色の枠0.4×0.5Km程度の広さ(11世紀) 



ピサは、フィレンツェより早く繁栄したことが分かる。11世紀には現在のチェントロ・ストリコ(歴史保存地区)1.6Km角程度を形成。しかし、様々な国との戦いを繰り返しながら1406年には、フィレンツェの支配下になった。

一方、フィレンツェは、ローマ時代に築いた地区(0.3×0.25Km)からはじまり、ピサの発展より遅れて12世紀にアルノ川を含めたコムーネの第一城壁(1173年~1175年)1.0×1.2Km程度の広さとなり、急成長し、第二城壁(1284~1333年)の現在見られる保存地区(オレンジ枠)2.4Km角程度が形成された。

つまり、羽仁五郎氏の書籍に書かれているように、ピサの大聖堂広場は、第二の都市を形成するための布石のような意味があったようだ。

ピサはローマ時代から急成長したが、11世紀には現在の城壁、12世紀以降は戦いのため成長は止まった。芝生で敷き込まれた広場は、他の街では見られない。だからこそ、ピサらしさの広場が出来たのだろう。


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13世紀の街 ヴィテルボ Viterbo [イタリアの広場]

『忘れられた中世の街 Viterbo』

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トスカーナ州にあるサンジミニャーノのように、中世のおもむきが変わらず残されているヴィテルボは、ローマから北に70Km、ラツィオ州の北部、トスカーナ州とウンブリア州の州境に位置している。この地域は、"トゥーシャTuscia"と呼ばれ、紀元前のエトルリア文明が繁栄した土地の中心地だった。中世の時代には多くのローマ教皇がローマを離れてこの街に移り、『教皇の街』として著しい発展を遂げた。

ヴィテルボの街は、等高線のある地図をみても、ほぼ平地に見えるが、山岳都市建設の得意なエトルリア人によって、小高い丘(海抜325m)に築かれている。旧市街は、城壁に囲まれた中世の様子を完璧に残している。街周辺をぐるりと囲う城壁には7つの門あり、旧市街への入り口になっている。城壁のほか、塔、貴族の邸宅、広場を飾る華麗な噴水など、なかでもサン・ペッレグリーノ中世地区に足を踏み入れれば、13世紀にそのままタイム・スリップしたかのような光景に出会うことができる

過去、賑わいを見せただろうサンロレンツォ広場を紹介。35年前の写真しかないので、こちらのブログの写真を見てください。
en.wikipedia.org/wiki/Viterbo

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「街はずれにあるサンロレンツォ広場」 


サンロレンツォ広場は城壁内の南西の端にある。教皇たちの宮殿と教会と住居系に囲まれてはいる。レストラン、カフェーはなく賑わう光景は見られない。観光客がちらほら居る程度。市民のための広場というよりは、街の雰囲気とは一線を置いたプライベート空間、中庭のような雰囲気を持つ広場だが、統一された美しさはある。

こじんまりとした広さ(30×42m程度)、大聖堂の鐘塔の高さは40m以上ある。
周辺の建物の高さ低く押えて、教会を一層大きく見せている。

35年前は駐車場として利用されたが、現在は、写真を見る限り、車侵入・駐車現在は規制しているようだ。“Piazza di Itaria(出版TCI)”の書籍で紹介されている。




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現代的なシニョーリア広場 トレビーゾ [イタリアの広場]

『小京都のような美しい街 トレヴィーゾ』

北イタリア ヴェネト州にある小さな街、トレヴィーゾは、本当に美しい。
街の中を豊かに流れる水と城壁都市でありながら、周辺の鮮やかな緑、樹木、花壇など住民の細やかな暖かい心づかいが観光客の私たちに伝わってくる。

水と緑が人の暮らす石造りの建築群と見事なハーモニーを織り成している


『シニョーリア広場』
シニョーリア広場には、トレビーゾ駅からは、歩いて8~9分足らず。北側のローマ通りを行く、運河を渡り、ゆっくり蛇行しながら、アプローチするхх Settembre 通りに出る。そして、前方に正面を向いた時計塔が最初に目に入る。時計塔は建物と少しひねって建てられているのが分かる。

シニョーリア広場は、統一された高さ19mほどのパラツォに3方囲まれている。広場の広さは50m×25m、フラット。パラッツォは通り抜けができ、後方(北側)にある広場では朝市が開かれる。

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トレビーゾ https://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/edit/input?id=14312706


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イタリアの広場の比較2 [イタリアの広場]

トスカーナ州の「TodiとSpoletoと比較」

トーディ(海抜400m)とスポレート(海抜386m)は、どちらも丘陵地帯の尾根、台地を利用して築かれた丘上都市だ。Todiトーディの街中心にあるポポロ広場とSpoletoスポレートの街の少し高い位置、東端にある大聖堂広場とを比較する。

城壁都市の広さ:南北に広くこじんまりとまとまった矩形の形のスポレートは850m×1200m、尾根づたいの広がりを見せるトーディは850m×850m。

広場の形づくる建物:スポレートは大聖堂など3つの教会と資料館、そしてバールが2軒などに囲まれ、先広がりの台形と階段で下がったところに対比(静と動)した2つの広場
トーディは、大聖堂と3つのパラッツォとバールが数件ある。更に連続する対比した2つの広場がある。

広場の広さ:スポレートは間口10m、底辺50m、奥行140m(スロープ80m)
      トーディは間口40m、底辺30m、奥行90m
主要な建物:スポレート大聖堂ほぼ北東、高さ30m
      トーディ大聖堂北側    高さ35m


『Spoleto』http://musashinosekkei.blog.so-net.ne.jp/2009-09-28
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南西方向から正面眼下に見える小さく見える大聖堂に引き込まれるように下っていく
広いなだらかな階段、赤いレンガ敷き、白い大理石の縁 一人一人が浮出して見える





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イタリア広場の比較1 [イタリアの広場]

イタリア広場の勉強を始めたのが1973年頃、関心を持ち続け、今年2012年で40年目になる。
旅行するのは、山でなく、海でもなく、古い街並みのある街、その中でも人が集っている場所。建物を見学するでもなく、人だまりの場所には魅力を感じる。一言でいうなら、外部空間の魅力。

ここでは、その場所を“広場”と言うことにしよう。

イタリアにも、昔の何々広場と名ついた場所が、人の利用がなく、駐車場になっている場所がたくさんある。広場もときとともに姿を変えてゆくわけだ。


『イタリアの広場』
広場での歴史的な出来事、処刑、裁判などはさておき、イタリアには広場と名がついている場所が本当にたくさんある。その中でも、人が集い、様々な楽しい光景が見られる広場はある。

人が行き交うところには、かならず人だまりの場所があり、そこには生きた名のある広場があることに気が付くだろう。たとえば、ベネツィアのカンポ広場、シエナのカンポ広場が世界的に有名だ。

そのような広場にかならずあるのがBarバール、現在のド・トール、スターバックスのようなカッフェ。そして、教会とかPlazzoパラッツォと名がつく建物(総称して、イタリアの都市に建つ宮殿・大邸宅。市庁舎・裁判所などの公共建築)があることに気が付くだろう。
このような日常に利用する用途の建物がないと、駐車場になってしまうということだろうか。

「生き続ける広場」
日本では、いつ頃だったのだろうか?今日、チェーン店のカフェはいっぱい。休日は当たり前、平日でもいっぱいだ。

イタリアから帰国した1976年、当時、日本には、ド・トール(1980年4月1号店、2004年4月1000店)、スターバックス(1996年1号店、2004年551店)のようなカフェーはなかった。あっても、個人経営の喫茶店。でも、イタリアでは、コーヒー1杯50円だったか、コーヒーをバールで飲んで一日が始まり、昼は広場でコーヒーを飲みながら友人たちとおしゃべりしながら時を過ごす。一日に何杯コーヒーを飲んでいるのだろうか?当時の私にとっては、カルチャーショックであった。


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         イタリア半島を東西に二分したアペニン山脈

「丘上都市の広場」
小高い山、海抜1,000m以下の山並み、丘陵地帯に築かれた都市には興味をひく。

交流不便な山岳都市は敵から防備のため、マラリアの蚊から逃れるために築かれたそうだ。
そのような都市、街にこそ、興味の魅かれる『イタリアの広場』がある。

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