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パリの広場 [広場]

《サン・カテリーヌ広場》

リヴォリ通り沿いにある、美味しいパン屋「ミス・マノン(Miss Manon」がある。いつ行っても、行列のお店。
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朝6時30分に開店。笑顔の似合う小柄でふっくらした、おばさんが一人働いていた。
7時近くになって2人の若い女の子がくる。
7時30分頃、やっと薄明かりが差す。コーヒーを飲み、今日の一日のスケジュールをたてる。
そして、長いフランスパン、バゲットを買って、この広場でパンをかじりながら、実測、スケッチをしながら、
ときを過ごす。それから、Vosges公園に行く散策コースが好きだ。

途中には大きな本屋さん(ここで、孫の本を買った)がある。
ここに立ち寄り、パリの歴史の本をパラパラと見る。そして、公園に行く。
パリに来たなーという感じだ。


《サン・カテリーヌ広場》
パリで私の好きな広場は、サン・カテリーヌ広場だ。
Rivoli 通りから30mほど中に入った場所にある静かな広場。広場0.JPG



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広場001.jpg

8m程の裏通り広場に入る、正面にリヴォリ通りが見える


広場32.JPG



広場5.JPG



パリ広場1.jpg


サン・カテリーヌ広場は、街路に囲まれた広場、23m×19m。
樹木、緑色のベンチ、街灯、車止め、ゴミ入れがある。



周辺の街路幅、7.7~8mあり、それを含めてもも31m×37mの小さな広場。
周辺の建物の高さは15m。高さと幅の比率は1/2よりも少ない。それだけに広さを感じる。そして、こじんまりとした広さ、圧迫な感じはない。この比率が良いのかなとも思う。
5~8人もベンチに座っているといっぱい。
広場4.JPG


広場3.JPG


パリ広場12.jpg


広場を囲む8mの街路には、簡易のお店奥行き2.7mが場所を占めている。
ランチタイムを利用して、ランチメニューを食べた。
東から光が射すお店が、混んでいる。
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広場34.JPG

広場から裏通りを見る







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リスボン サン・ジョルジェ城 城門 [イタリアの広場]

リスボン サン・ジョルジェ城の城門 広場


サン・ジョルジェ城の城門で、音楽を演奏していた。傍にレモンの樹があった。城壁に上がる階段がある。
近くで、城の入場券を売っている建物があり、誰もが立ち寄る場所だ。
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城入口2.jpg


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リスボンの広場 [広場]

『60歳からのひとり旅Ⅳ リスボンの広場』


現在のリスボンの玄関は、コンメルシオ広場、これを日本語で書くと“商業広場”。貿易広場と訳している人がいて、疑問に思い調べた。1755年の大地震後にできた広場。「国王の広場」として設計、計画の途中「王の商業広場」、最終的には現在の「商業広場」。金七紀男著“リスボンの大地震と啓蒙都市の建設”参照www009.upp.so-net.ne.jp/fial/activity/.../fial_forum34_1203.p

ポルトガルの歴史は、紀元前8世紀フェニキア時代から始り、紀元前2世紀ローマ人、714年から1147年までのイスラム教徒の支配、そして最終的にキリスト教徒に回復されるが、歴史はこちらを参照ja.wikipedia.org/wiki/ポルトガル但し、「商業広場」の広さは、金七さんの方が正しい。ロシオ広場を実測したことから分かった。


ポルトガルは15世紀からアフリカアジアアメリカに進出して各地に植民地を築き、都市を建設した。私が見学したのは、マカオだ。1554年に首都にしている。植民地との連絡は船舶を利用。そのため、海湾に拠点とし、海賊の攻撃に備えて、海から湾内から奥深い傾斜地が選ばれた。それが、テージョ川の右岸、海洋から17km入った現在のリスボン(1255年にコインブラからリスボンに首都を移す)。

リスボンは、1755年の大地震の後に築かれた。この地震の被害が少ないのが、“サン・ジョルジョ城”の斜面のアルファマ地区、対岸から見るとリスボンの全景は半円劇場というか、こんもりとした低い丘を思わせる。
リスボン全景JPG.JPGリスボン全景2.JPG対岸のカシ-リャス行きの船から



大地震の1755年以前のリスボンは、アルファマ地区のようなイスラム型都市。1730年頃の人口は25万人。
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リスボン大震災
1755年11月1日、晴れ渡った日曜日の朝9時30分すぎ、直下型の地震。北から南に激震が貫いた。地震に続いて火事。翌年ボンバル侯爵は再建計画。具体的な設計の責任者はエウジェニオ・ドス・サントス大尉。
リスボン中世.jpg


計画の対象になる地域は、王宮広場(後の商業広場)とロシオ広場の間に位置、リスボンの心臓部にあたるバイシャ地区。

サントスの計画では王宮広場とロシオがバイシャの南北に2つの核として決定的な役割を果たし、3本の街路がこの2つを結んでいる地震から10年後1776年バイシャ地区と周辺に140の建物が建設された。


『リスボンの中心の都市構成』


リスボンの広場の面白さは、テージョ川に面する、リスボンの表玄関「商業広場」と北に延びる3本の街路とロシオ広場とフェゲイラ広場の都市構成と思い、実測した。

ロッシオ広場193m×85mとフェゲイラ広場72m×111mと樹木のあるサンドミンゴス広場、変形だが60m×30m程度の3つの広場を実測した。図面で書いていくとコンメルシオ広場177m×192mと言うことが分かった。
これらの4つの広場の組み合わせが好きだ。その中でも、サンドミンゴス広場が楽しい。朝、昼間はアフリカ系黒人の情報交換の場になり、夕方からは リリュール酒1.35ユーロの店の周辺には、たくさんの人が集まる。

リスボン3つの広場.jpg

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理想の“小さな広場”バルセロナ パタン・ランゲ―ジ [広場]

『Plaça de Sant Felip Neri』

ゴシック地区の主要街路沿いにある「Plaça de Degarriga 1 Bachs」を調査をしているときに、まったく偶然見つけた広場だ。この広場の存在は、私にとって、槇さんの『記憶の形象』からの概念の「奥」の空間だ。

そして、『パタン・ランゲ―ジ』 C・アレグザンダー著 平田翰那訳から、考えると理想の広場。

「環境設計の手引」として知られているパタン・ランゲージの中から「61 小さな広場」から考えると、バルセロナのPlaça de Sant Felip Neriは、理想的な広場だ。

抜粋“…実験から次の結果が得られた。正常な視力の2人の人間は、75フィート(23m)までなら気持ちよく意志を伝達ができる。大声で言葉を交わし、顔の表情をお互いに確認し合える。この75フィートという上限値は、きわめて信頼度の高いものである。100フィート(30m)になると、会話は不快になり、顔の表情は読みとれなくなる。

公共広場は、はじめに想像するよりずっと狭くすること。通常は45から60フィート以下の直径 にし、広くても70フィートを超えないこと。これは短手方向だけに適用し、長手方向は当然もっと広く ても良い。”



『Plaça de Sant Felip Neri』実測調査
http://unlike.net/barcelona/escapism/placa-sant-felip-neri


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この広場には、2本のアプローチがある。 北側のアーチのあるアプローチと南側のメインのアプローチだ。そして、広場には噴水と3本の樹木。 広場を形づくる壁、2つの教会があるが、全体の雰囲気は宗教的よりも生活の場から生まれた雰囲気が漂う。 建物と広場の比率D/Hは、1以下だろう。芦原氏の広場の定義にもあっている。


この広場は、イタリアにある広場を合わせて考えても、私にとって『小さな広場のなかで、理想な広場』。


「二つのアプローチ」


北側のアーチをくぐり、広場に入るアプローチは、空間を限定し、明と暗をくっきりとさせている。前方を見ると、教会の斜めの壁に更なる、奥への期待感がわく。
広場に射し込む太陽光線が強ければ強いほど、つまり明暗の差が、大きいほど奥への期待感は大きい。更に、太い樹木の幹の存在も“何があるのだろう”と期待がわく。

二つ目の、南側のアプローチの特色は、幅3.4mの縦に空間を絞るように区切った街路の場合も同様に奥への期待感があるが、前者ほど明暗の差が強くないので期待感は小さい。

このアプローチの素晴らしさは、正面に幅3.5mの噴水が迎えてくれる。そして、その先にある独特のデザイン、一番高い高さの教会の明るい色のファサードが後方の壁をつくる。

そして、広場の中に入ると高木の樹木が、無味乾燥になりがちな広場にやわらかい空間とし、やすらぎをあたえ、木々の風の音、水の音、若者の演奏、話し声が聞こえてくる。

小さな広場アプローチ2.JPG小さな広場アプローチJPG.JPG



















「教会の前いつもたむろする若者」

教会の前に座り、ギターを弾きながら歌う。

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「美しい床」と「噴水」

噴水の形を造るように、重要な場所を示すように敷かれた“敷石の造形の美しさ”“広場の中心からわずかにずれている”ことが、教会の前の人の溜りをつくっている。
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小さな広場9.JPG


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バルセロナ 広場 Plaça [広場]

バルセロナの好きな3つの広場を紹介』


スペインの広場には、樹木のある広場が多い。日影、癒し、憩い、もの思いにふける装置などいろんなことが考える。

“樹木のある広場は、私にとっては、癒しになる。一人で居ても不思議ではない雰囲気になる。”

 すべて、ゴシック地区にある。バルセロナ地図.jpg

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今回の旅行の目的の一つは、王の広場の測量だった。ゴシック地区の主要街路沿いにあるCの広場を見付け、そして、さらに奥にある(地図で見るように)Bの広場を見付けた。私にとって理想の広場は、Bの『Plaça de Sant Felip Neri』であった。

A 王の広場       20.6m×38.5m
  ca.wikipedia.org/wiki/Plaça_del_Rei  20.6m×38.5m

Plaça de Sant Felip Neri       20m×22.8m(不整形だが)
 2つの教会がある広場

Plaça de Degarriga 1 Bachs 13.7m×29.2m(街路幅4m含)
 記念碑のための広場

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イタリアのサン・ジミニャーノ [イタリアの広場]

塔の街として知られている『サン・ジミニャーノ』井戸の広場と大聖堂広場

シエナからフィレンツェに戻る途中、サン・ジミニャーノに立ち寄ることにした。15年ぶりだろうか?

慌ただしく観光する日本人にとっては、物足らない場所かもしれない。今回見つけた日本人の観光客一団も、1,2時間ばかりで帰って行った。しかし、イタリアの中では、開発することなく、“中世の街がそのまま残された街”、“世の中の流れを忘れた街”として、非常に大切な場所だ。http://musashinosekkei.blog.so-net.ne.jp/2008-10-26

この街の良さを知るのには、年月が必要だろう。ja.wikipedia.org/wiki/サン・ジミニャーノ歴史地区

予定より1時間遅れで、サン・ジミニャーノに行った。12日午後1~5時頃までの短い時間だったが、新しい景観を見付け、思いもよろぬ収穫があった。

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この街のアプローチは、城壁の外のバス停から始まる。
いつも変わらぬ、閑散といた景観、夏の一時しか賑わいを見せない街。

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更に城門をくぐると、前方に「井戸の広場」が見えてくる。


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右側に井戸の広場を見ながら、45m前方に見えるロッジャの方に進む

バス停から、城門を2つくぐり、井戸の広場を右側に見ながら、さらに進むと街の中心の大聖堂の広場に出る。ここには、一番高い塔のある市役所と街の中心の教会、大聖堂がある。

もうすぐ迎えるクリスマスのための飾りつけが行われていた。どうして、こんな中央にツリーを配置するのかと思うが、


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「サンジミニャーノの連続する広場」を実測
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三角形の「井戸の広場」と台形の形をした「大聖堂の広場」の2つの広場のネックにはロッジャ(回廊6.7m×14.3m)がある。これは、連続性と圧迫感を感じさせないための空間の演技と思う。フィレンツェのシニョーリア広場とアスコリピツェーノのポポロ広場にも見られる。 さらに奥には、観光のためだろうが、大聖堂の北側に広場がある。 「井戸の広場」1400㎡には、市民のための井戸のための場所、高低差、先細り(奥行70m)の遠近法をも生かせた広場になっている。平地の無い街、一番高いところにある「大聖堂のある広場」1600㎡(街路、階段含)は、市役所と教会のための広場とし、街の中心となっている。 “変化”・“連続性とつながり”・“個性”・“遠近法”・“街路の閉鎖性と開放性”・を持つ3つの連続する広場
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「井戸の広場」
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「大聖堂の広場」


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シエナのカンポ広場 [イタリアの広場]

シエナの「カンポ広場」

「カンポ広場」は市役所のための広場

10年ぶりのシエナは天気が良かった。カンポ広場でごろっとして、広場の広さをレザー測量で測りたく、12月11日に一泊した。

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2012.12月11日 北西の角、メインのスロープの入口の傍にあるバールの2階バルコニーから、広場をゆっくりスケッチをして実測を始めた。
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「カンポ広場の実測」
すり鉢状、魚の骨状に敷かれたレンガ敷き。周辺は13.6m~11.7m幅の石敷きの街路に囲まれている
。(http://musashinosekkei.blog.so-net.ne.jp/2008-11-03-1毎年開かれるパリオ祭の時、この街路を10頭の馬が走る)
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街路を含めた全体の広さ(台形の形)は、高さ96.6m、上辺110m、底辺163.9m 
広場だけを計算すると70m×106m。一辺だけを考えると、シニョーリア広場の広さとあまり変わらない。それがどうしてこんなに広く見えるのか?

それは、広場部分が石畳の街路から下って、すり鉢状を半分にした形(等高線上、高低差21m)になっていること。写真、スケッチで見るように人が浮いて見える。



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高さ1.25~1.35m、直径0.35m、6角形の形をした石柱、ビッチ≒4.3m

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<その他の意図的デザイン>


1)広場に流れ込む道路幅は5m程度に絞り込んでいる

2)市役所の東南側以外、意図的に統一されたファサード、高さ

3)市役所の両サイドの建物の高さをぐっと下げて、市役所を浮出させている

4)市民の生活にとって、一番大切な水があるガイヤの泉

5)どこからも見える街の象徴とする高さ130mのマンジャの塔の存在

6)太くて高い車止め

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イタリアのフィレンツェ [イタリアの広場]

フィレンツェ『シニョーリア広場』を考える

寒い中でスケッチをする。フィレンツェの周辺の山並みは、薄暗く今にも雨が降りそうだ。中国人の結婚を祝う人たちが来た。途中で中止する。この続きは、シエナから帰ってからにすることにした。そして、サンミケーレ教会に見学に行った。
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「シニョーリア広場は、ベッキオ宮殿のための広場」

ミケランジェロ広場から一望するフィレンツェは、鐘塔の大聖堂と時計塔のあるベッキオ宮殿が浮き上がって見える。フィレンツェという海の中に浮かぶ、大きな2船のように見える。

または、一望するフィレンツェは、周辺を小高い丘に囲まれ、街の中央を流れるアルノ河、日本の京都・奈良のようでもある。これが都市づくりの基本構想なのだろう。


2012年12月の実測

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「シニョーリア広場」と「ウッフィツィ広場」との連続性

「シニョーリア広場」は彫刻によって、大きく二分されている。70m×70mと45m×50mの矩形。前回お話し(https://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/edit/input?reload_blog_id=262358&id=10354705)しているように、70m角の広場では、古代サーカーなどで現在もつかわれている。しかし、日当たりの悪い東側の狭い広場は、駐車場に使われたり2次的な使われ方が多い。

つまり、日当たりのよい重要な広場として利用する場合には、かならず控えの空間が必要ということだろう。

建物全体の豪華さを見せるために2面を見せる必要がある。

重要な広場の東側に、ベッキオ宮殿の正面を配置、控えの広場の南側には、宮殿の裏側(勝手口側)になる面がある。



「ウフィッツィ広場」の存在  現在工事中

3段の階段、広場とレベル差のある回廊(幅5.8m、天井6.6m)を持つ“ウフィッツィ広場”の広さは、140m×18mある。アルノ河に導きかれ、両側の回廊には著名な彫刻が配置されている散歩道の広場だ。

アルノ河の奥からは、ベッキオ宮殿の塔、大聖堂、彫刻とが構成、一体感、パースペクティブの構成と愉しむことができる。

この回廊には、店は配置されていないが、石のベンチが置かれ、構想、散歩と落ち着いた空間となっている。年1回、5月1日の労働メーデーには花祭りに使われている。

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バルセロナの魅力は何か [わが街意識]

バルセロナの新しい魅力を見付けた」


バルセロナの初回は、ガウディの名の知らない頃、1973年、建築家の堀田氏に連れられてガウディの作品見学のために訪れた。そして2回目はガウディの作品とヨーロッパの広場探しを目的に、1974年にスペイン旅行をした。その時には、“王の広場”と“チュロス”と“ガウディの公園”の3カ所の思い出が残り、再度訪れるチャンスを待っていた。2012年11月末に仕事が終え、次の仕事が未定、これがチャンスというのもおかしいが。この機を逃すまいとスケジュールを組んだ。


“バルセロナ”は、アントニオ・ガウディの設計した建物がある街として、そして1992年にはオリンピックの開催地として世界に知られている。

38年ぶりのスペイン今の旅で『私にとってのバルセロナの魅力』を見付けた。

一つ目の魅力は街の広さだ。東京、パリ、ローマ、上海ほど大きな街でなく、こじんまりした広さであり、非常に分かり易い都市の形態をしている。つまり、東西を2分するラス・ランブラス通りがあり、地区の中心の広さは1.4km×1.7km、一極集中型のほぼ平地の街。

二つ目の魅力は紀元前の神殿、生きた歴史がゴシック地区にあることだ。

三つ目を上げるとすれば、旅行者にとって、地下鉄が完備されて、3日間、5日間のバス・地下鉄に乗り放題のチケットがある。


「2012年12月3日~9日まで実質5日間」の市内観光
9日の午後は、イタリアのフィレンツェ直行便に乗るまで、時間ぎりぎりまで散策した。

バルセロナの近くの街、ガウディの郊外にある建物など色んな場所の見学を計画したが、結局はバルセロナ市街地だけを愉しんだ。

この間にしたことは、大きく言って8つの分けられる。

 1)王の広場の実測とスケッチ 

 2)その他3か所の広場の実測 

 3)ゴシック地区のスケッチ 

 4)城壁探し 

 5)チュロスja.wikipedia.org/wiki/チュロスとホットチョコラータ美味しいお店探し

 6)グエル公園の実測とスケッチ

 7)ガウディの設計住宅2ヶ所見学

 8)ピカソ美術館見学




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オルヴィエート 『世界一美しい丘上都市』 [イタリアの広場]

オルヴィエートは、凝灰岩の上にそびえ立つ『世界一美しい丘上都市』とよばれています。
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丘の上に作られた要塞都市、古くからエトルリア人が住んでいたが、紀元前280年ごろにローマ人に攻め落とされ、近隣に逃れた。以来この街を「ウルブス・ウェトゥス (urbs vetus)」(ラテン語で「古い町」の意)と呼んだのが訛ってオルヴィエートと呼ばれるようになったといわれている。
(ja.wikipedia.org/wiki/オルヴィエート)エトルリア文明の最も重要で有名な遺跡の一つに数えられています。


『高台にたつオルヴィエート』

ローマから電車で1時間。駅から130mぐらい高い平地(700m×1500m)の高台まで、ケーブルカーに乗って行く。街を南北に二分して走るCorso Cavour、(下の絵葉書の下方)西に向かって700mぐらい行くと、前方に教皇の塔(19世紀、機械時計を設置)が見える。人の流れに誘われて、更に進むと前方には市役所のある広場がある。そして、人通りの少ない塔の北に行くと市民宮殿のある市民広場に出る、南に行くと大聖堂のある大聖堂広場に出る。

このように教皇の塔は、権利の象徴として、また街を監視するために街の中心になっている。

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<大聖堂広場>

大聖堂広場は、中央に40mの高い大聖堂で占められている。大聖堂を望むための引きが30m、視線的に、建物の規模からいえば、威圧的な建物だ。教会は素晴らしいが、広場としては面白みがない。

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